万華鏡

プロローグ


 夜の風を受けながら窓際に立つ。
 見上げれば美しい星空。
 煌めく星々を照らしているのは丸い月だった。
 今日は満月だ。
 フウッと息を吐いて雪男は髪をかきあげた。
 満月の夜には何かが起きる。
 そう言ったのは今は亡き父だった。
 雪男は小さな頃から夜が嫌いだ。暗闇は昼間以上に「見てはいない」ないものを浮き上がらせる。
 中でも、満月の日はそれが顕著だった。
 父が言った。
 満月の夜には道が開くのだと。
 もちろん完全に開くわけではないから、こちらの世界に道を渡りやってくるのは小物に過ぎない。
 人間以上に力のないものから、イタズラをして害をなすものまで様々だが、基本的に大勢の命を奪うような
大物は道を渡ることはできない。
 満月の夜に開く道は細く、狭い為、大物は通ることができないのだという。
 それでも夜は怖かった。
 特にこんな月の夜は―――――――。
 時刻は午前0時。
 深い夜が雪男を包み込む。
 雪男の瞳には誰にも見えなくても見えるものがある。特にこんな美しい夜には、浮遊する様々なものが……。
 いつ見えるようになったかなど憶えてはいない。
 物心ついた時にはもう見えるようになっていた。
 雪男はそれが何なのか分からなかった。
 だけどそれらはいつも自分の目の前にいて、雪男は怯えなくてはならなかった。
 彼らはいつも自分を見つめている。
 幸い直接雪男に害をなそうというものはいなかったが……瞳はぞっとするほど冷ややかで、おぞましい異形の
姿をしていた。
 彼らが自分に害をなさなかったのには理由があった。
 自分たちの父親が強い力を持つ祓魔師だったからだ。 小さい頃は気づかなかったが、父がいつもそれらを退
けてくれていた。
 しかし、自分が守られているのだと気づいたのはもっとずっと後のことだ。
 とにかく小さな頃の自分はそれらが恐ろしく、どうして友達には見えないそれらを自分は「見て」しまうのか
ということに悩んでいた。
 それらは全て雪男という存在がこの世に生を受けた時に決まっていた。
 人はそれを「運命」というのかもしれない。
 

 カタンと小さな音が聞こえてくる。
 自分に近づいてくるものの気配に雪男は瞳を伏せた。
 それが誰であるのか、分かっている。
 何故ならこの部屋には自分の他には一人しかいないのだ。
 双子の兄。
 同じ母親の胎内で栄養を分けあって生まれてきた。
 だけど未熟児だった自分とは違い兄は業を持って生まれてきた。
「何してんだ?」
 後ろから抱きしめられて、雪男は小さく笑う。
 兄ではない。
 ここにいるのは自分の知る兄ではないのだ。
 兄ならば決して浮かべない表情で魔物特有の瘴気を纏わせて彼は口の端を上げた。
「別に」
 雪男は絡みつく腕を解いて彼の体を押し退ける。
「そっけないじゃねえか」
 彼はそう言うとクククッと喉をならした。
「今日は満月だぜ」
 わざとらしくそう言って空を仰ぎみる。
 丸い月が夜の闇を明るく照らしていた。
 月の周りには小さな星が円を描き群がっている。
 まるで万華鏡のようだなと雪男は思った。


 日付が変わり、夜も深まる時間――――。
 魔物は力を得て現れる。

 初めて彼が現れたのは父が死んで最初の満月の夜。
 兄の決意をあざ笑うように彼は現れた。
 兄―――燐の中にいる悪魔。
 彼こそサタンの息子。

 フッと雪男は小さく笑った。
 もう何度この諦めにも似た思いを感じたことだろう。
 愚かだと自分でも思う。だけど、もう後戻りする術など持たない。
 彼が兄と同じ体、同じ魂を持つ以上、雪男が彼を見捨てることはできないのだから。
 寝間着のボタンを外して脱ぎ捨てる。
 ベッドに手足を投げ出すようにして横たわった。

「好きにすれば良い」

 これは契約だ。
 兄は知らない。
 自分と彼の間に交わされた密約。

 兄と同じ顔をした魔物が雪男の肢体にのし掛かってくる。雪男はそっと瞳を閉じて、今は深く眠っているだろ
う兄を想った。