御注意:攻め柴田が好きな方や、松菊至上主義派の方には、
あまりお勧め出来ません。引き返すなら今ですよ。
妄想の果ての松柴なので、よろしくご理解下さい。
≪傾向≫ 限りなく篠柴っぽい松柴・シリアス・Hは序の口のみ
■迷いの森 柴田編
再び舞い戻って来たかつての乗員を、格納庫で迎えたのは桐野だった。
今、この艦の指揮権を握る男の近臣と言っても過言ではない桐野は、
かつての上官に礼を払う言葉遣いでありながら、
それを裏切る横柄さでもって、彼らの今後の扱いを伝えて来た。
「元乗員とはいえ、現在はいち救助者にすぎません」
その声を聞いて角松は、冷徹を装って紡ぎだされる桐野の言葉の中に、
僅かな恐れが見て取れる気がした。
それは、桐野の、角松の干渉を恐れる心を滲ませるものだった。
固い声のまま、武装解除と軟禁する旨を伝える桐野に、
角松は薄く笑みを浮かべる。
「すべて菊池三佐の命令です」
角松の干渉を恐れているのは、桐野だけではないということが、
その声音に、そして必死に作り上げたであろう無表情に、
ことごとく現れている。
しかし、角松の左手後方に立っていた男には、
桐野の不安を理解する気はなかったようだ。
横須賀で姿を消し、潜水艦でこのパラオに辿り着くまでの道程は、
一様に四人の眼光を鋭くさせていたが、
親友を永遠に失った柴田のそれは、群を抜いて鋭くなっていた。
そして、この対応に対し、最も怒りを抱いていたのは、
桐野とも旧知であった、この柴田において他はない。
「菊池三佐が責任者なら、
角松二佐が帰還したのに、何故顔を見せない!?」
柴田は未だ以って、この艦の艦長であると信じている。
少なくともこの時代では、二階級特進という例外を除けば、
自分達の階級が上がることのない代わりに、剥奪されることもまた、
それを決定する機関がないゆえに、決して有り得ないのだ。
艦を降りても角松は二佐であり、
艦の主導権を持っていても菊池は三佐である。
その角松に対する桐野の、いや、菊池の対応は、
尉官のそれよりもまだ下ではないのか思わせるほどのものだった。
何よりパラオに着くまでの間に、時折滲む角松の、
海軍の甘言に惑わされたであろう親友を思い遣るような素振りを、
つぶさに感じていた柴田は、菊池のこの仕打ちを何よりも憎んだ。
しかし、思わず身を乗り出して桐野に食って掛かる柴田を、
角松は左腕を伸ばし、無言で制す。
無表情で作戦中の旨を伝える桐野の言葉から、
菊池の所在を知った角松は、振り返らずに背後の様子を探った。
柴田や、右後方の柳からは動揺する気配が感じ取れたが、
背後の麻生は、微動だにしない。
任せても大丈夫だろうと、角松は判断した。
「では、艦橋にいるんだな」
途端に動揺を露わにする桐野の脇を抜け、角松は歩き出す。
無表情の面が取れた桐野に、為す術はなかった。
角松の背を追おうとした柴田を止めたのは、麻生だった。
「何で止めるんですか、麻生先任!」
「角松二佐は大丈夫でしょう。信じて待ちましょう」
「そんな保障はどこにも…っ」
「勝算があるから行かれたんでしょう。
それに我々が信じなくて、誰があの人を信じると言うんです?」
麻生に穏やかな声で、自分の行動が角松を疑うものだと諭され、
柴田は歯痒さとくやしさに唇を噛んだ。
一旦消えた桐野が戻って来たのは、
それからしばらく経ってからのことだった。
「角松二佐はどうした!?」
「先に部屋へご案内してある。貴官らも付いて来て貰おう」
「罠じゃないだろうな?」
「そんなことをしてもメリットは少ない。
むしろダメージのほうが大きいだろう」
淡々とした声に、柴田が苛立ちを見せたが、
桐野は相手にせずに背を向けると、
付いて来るよう促がして、前を歩き出した。
やがて、先の一部屋に麻生と柳を入れ、見張りを立たせて、
桐野は柴田ひとりを先へと促がした。
その桐野の目を盗んで、麻生が柴田に目配せをする。
感情的になるな、と麻生の目は言っていた。
柴田は頷くと、先に出た桐野の背を追った。
「どういうことだ? 角松二佐は、今どこに…」
割り当てられた部屋に入った途端、柴田が訝しげな声を放った。
当然同室だろうと思っていた角松の姿がないことで、
にわかに柴田の不安が増した。
「角松二佐には別の部屋が割り当てられている。
この部屋は、貴官が一人で使うといい」
「…本当に、角松二佐は無事なんだろうな?」
「さっきも言ったが、彼を殺しても我々にメリットはない」
「殺してないだけかもしれないじゃないか」
「菊池三佐は拷問を許すような方ではない」
「は!…随分と飼い慣らされたものだ」
柴田の放った罵声に、桐野は一瞬だけ、瞳に怒気を露わにしたが、
言葉で反論はしなかった。
そして、真摯な瞳を向け柴田に言った。
「篠原一尉が死んだというのは…本当か?」
苛立った柴田が、尚も言い募ろうとした矢先に桐野が放った言葉は、
柴田を冷や水でも浴びせられたような心地にさせるものだった。
「そうだ。アイツは特高の奴らから拷問を受けて死んだんだ」
「そう…か」
僅かに目を伏せて短く呟く桐野に、柴田の怒りが爆発する。
「桐野、お前、それだけなのかよ!」
「他に言うべきことなどない。強いて言えば、
角松二佐と艦から降りさえしなければ、こんな事にはならなかった」
「その角松二佐を追い出したのは、菊池三佐だ!」
「菊池三佐が追い出したんじゃない。
下艦は角松二佐自身の意向だった」
「同じことだ!
艦長である角松二佐が、艦を降りたいなどと本気で望むか?
普通に考えれば、菊池三佐が排除したと考えるのが妥当だろう!」
「…これ以上話しても意味はない。柴田二尉、ゆっくり休め」
「待て、桐野!」
追い縋る声は閉じた扉の中に消え、
桐野は苦しそうに息を吐き、菊池の許へ戻るべく歩き出した。
残された柴田は、角松の身を一心に案じていた。
桐野はメリットがないと言ったが、果たしてそうだろうかと自問する。
自分や麻生たちをどうこうするよりも、
旗頭たる角松を潰せば、大いに反旗を翻す者の気を削ぐこととなる。
死んで行った篠原の為にも、角松を失うわけにはいかない。
しかし、無用意に動けば事態は更に悪いほうへと動くだろう。
事実上、柴田の身はこの部屋に囚われていた。
思うようにはならないジレンマから、
柴田はイライラと部屋の中を移動して回った。
だが、不意に麻生の言葉を思い出し、立ち止まる。
そして、そのままベッドに腰掛けて息を吐いた。
信じよう…信じなければいけない。
そう思い定めて、柴田が耐え忍ぶが如く無為に時を過ごしていると、
思いが通じたのか、思いもかけない人物が来訪した。
「元気そうでなによりだ、柴田二尉」
作戦行動中のはずの菊池の来訪は、柴田を少なからず驚かせたが、
考えてみれば柴田にとって、ある意味、
今、角松よりも会いたいと願っていた人物かもしれなかった。
「艦の居心地はどうだ?
大変な目に遭ったと聞いている。ゆっくり休むといい」
懐柔を思わせる菊池の言葉に、柴田は身を固くする。
そして、目の前の男に、自分が見くびられている事に気付いて、
柴田はその面にかっと朱を走らせた。
美味しい餌をちらつかせれば、簡単に堕ちる程度の人間だと、
自分は認識されているのだ、この菊池という男に。
柴田は奥歯を噛み締めて、低い声で唸るように答えた。
「居心地ですか? ハッキリ申し上げて、今のみらいは、
我々の乗っていた潜水艦以下だと、自分は思います」
菊池は意外だと言わんばかりに眉を上げ、柴田の顔を見詰めた。
「冗談だろう? 二尉の貴様に佐官同様の部屋を与えているんだ。
劣悪極まりない潜水艦以下とは、心外なことだ」
「…角松二佐はご無事なんでしょうね?」
「柴田二尉、貴様に質問を許した覚えはないが?」
きつい口調で少しばかり不快を露わにする菊池に、柴田は畳み掛けた。
「まさか、殺したりは…」
「私が角松に危害を加えることなど、無い」
しかし、幾ばくも口にする間もなく、
被せるように発された菊池の声に、柴田の言葉は飲み込まれた。
柴田は唇を噛む。
「クーデターを起こし、角松艦長に反旗を翻した貴方の言葉を、
信じることなど自分には出来ません」
搾り出すような声音で、それだけ言うと、柴田は黙り込んだ。
「艦を降りた角松に、もう艦長の資格はない。それは角松も承知だ。
さっき艦橋で、オブザーバーの立場をとると自ら申し出た」
「オブザーバー…」
呆然の体で鸚鵡返しに呟く柴田の目は、絶望に彩られていた。
先程、あれほど信じようと思った心が、にわかにざわめき出す。
「柴田、角松は本当に君が信じるに足る男か?」
惑わすような声音は、柴田の心の裡に忍び込み、
知らぬ間に張られた蜘蛛の巣のように、視界を白く覆う。
「よく…考えてみることだ。幸い時間はたっぷりとある」
ぼんやりと影を失って行く角松の姿に、柴田は焦りを感じた。
頭のどこかで警鐘が打ち響き、劣化を始める己の思考を、
寸での所で、柴田は再び浮上させる。
「…俺は裏切りませんよ、アンタのように」
口元に皮肉な笑みを浮かべて、そう言う柴田を、
菊池は忌々しげに一瞥した。
「ふん…その強がりも、いつまで持つかな?」
いつの間にか、動揺の色が消え失せた柴田に、
嘲りを含んだ声が降り掛かる。
不意に、目を細め、仕方なさそうに少しだけ口元を歪めて、
菊池のことを語った角松の言葉が、
今になって、再び柴田の心をよぎった。
「こんな男の身を案じて…あの人は馬鹿だ」
「…な…に?」
初めてもたらされる情報に、今度は菊池が声を失う。
誰のことと聞かされずとも、菊池は柴田の言う人物を瞬時に察した。
その驚愕に目を見開く様子を間近で見て、
柴田はようやく、菊池の動揺に気付いた。
動揺は最初からあったのだ。
ただ、悟られないように平静の面を被り、声音を平坦にして、
菊池は柴田を懐柔した上で、探り探り、
角松の辿った四ヶ月の情報を引き出そうとしていたのだ。
言い換えれば、それは、角松本人から聞くことを、
菊池が恐れを抱いている証拠だった。
だったら、もう何も言うまいと柴田は口を噤む。
きっと、近い内に角松が動くことだろう。
その時、菊池に角松を制すことなど出来はしないだろうと感じて、
柴田は黙って、事の成り行きを見守ることに決めた。
柴田の部屋を後にして、任務に戻った菊池が、
彼等の軟禁を解いたのは、さして間を置かずのことだった。
麻生と柳は科員食堂、柴田は仕官食堂で、
それぞれ乗員達と話をして互いの情報を交換していたが、
角松は、決して部屋から出ようとしない。
乗員達のざわめきは、陸に襲い掛かる前の波のうねりのように、
艦内を音もなく巡っていた。
一名分の食事をトレイに乗せた柴田は、角松の部屋を訪れ、
備え付けのテーブルに置いて、
外で得た情報と乗員の様子を逐一知らせる。
「表面上は平静を保っています。しかし、我々の帰還によって、
誰もが心に揺らぎを抱えてしまっているのも事実です」
「そうか。それならいい」
「角松二佐…何故、ここに篭っておられるのですか?」
「まだ時期尚早だからだ」
「時期…?」
「旨いな。久し振りにこんな旨いメシを喰った。
材料には困っているだろうに、うちの炊飯長の腕も大したモンだ」
意図的に掻き消されたであろう自分の質問を、
重ねて口にはせずに、柴田は苦笑した。
「本当は俺もそう思ってはいたんですが、
さっきは…ちょっと嘘をついてしまいましたよ」
「嘘? どんな?」
先程の光景を思い浮かべて、柴田は苦い思いを噛み締める。
「この艦よりも、俺達を運んだドンガメのほうがマシだと」
「そりゃあ、また。口にするのに勇気の要る嘘を言ったもんだ」
予想外の柴田の答えに、
角松は、おどけるように声に抑揚をつけて言った。
柴田も負けずに、楽しげな声で、
まるで、子供が自慢するかのように無邪気に言う。
「でしょう? あの砲雷長に、ですよ」
それを聞いて、角松はますます目を丸くして言った。
「菊池に? あいつも仕官食堂に来ていたのか?」
「いえ、私の部屋へ出向いて来られました」
角松の箸が止まった。
柴田は、一瞬で変化した空気に戸惑いながら、
箸を止めたまま、一点を見詰める角松の横顔を見遣った。
「こちらには、来られなかったのですか?」
「こっちには航海長が来た…が」
「尾栗三佐が?」
「ちょっと来い、柴田」
柴田を引き寄せると、角松はその耳元に声を潜めて囁いた。
「お前、部屋ではたとえ独り言でも、
迂闊なことは口にしないよう注意しろ。いいな?」
「それって…」
「以前、艦長室に仕掛けられた例もある」
角松の言葉に、自分達が艦を降りることなった発端の、
あの出来事が柴田の脳裏を掠めた。
菊池のやり方に憤った記憶は、
四ヶ月経った今でも、まるで昨日の事のように鮮明だ。
柴田は頷いて、角松を見遣った。
「了解しました……角松二佐、あの」
「ん?」
「この部屋も、やはり?」
自分の部屋にすら仕掛けられたのだとしたら、
角松に割り当てられたこの部屋には、見付けられる事も想定して、
複数仕掛けられている可能性が高い。
「分からんな。だが、一応、気は付けている」
「そう…ですか」
その言葉から、角松はその可能性に気付きながらも、
敢えて、それらを探そうとはしていないことが見て取れる。
泳がせるつもりなのかもしれない…と気付いた柴田は、
知らず、返す応えに微妙なニュアンスを滲ませていた。
そんな柴田の様子に、角松は一瞬、怪訝な顔をする。
「なんだ? …ああ、そうか。別に構わんぞ?」
勝手に心を読まれて、柴田は憮然とした声を上げた。
「まだ何も言ってませんけど…」
「言わなくても解る」
そう言って腰を引き寄せられ、戯れに軽く耳を齧られる。
上気する頬を持て余しながら、
柴田はなんだか釈然としないのか、角松に文句を言った。
「メシ…食いかけじゃないですか」
「後で食う。お前が先だ」
「そんな…人を食い物みたいに」
「空きっ腹に喰う飯より上だと考えればいいだろう?」
睦言のような言葉遊びに苦笑を浮かべつつ、
柴田は角松の腕に従った。
「それじゃ、褒められてんのか、けなされてんのか判りませんよ」
「俺は好物から先に喰うたちなんだ」
「……………まぁ、いいですけどね」
抑えた声を上げながら、柴田はきっと聞かれていると確信していた。
菊池の不利になることも漏れる可能性が高いこの部屋に盗聴に、
向こうも、なまじな人員を当てることはないだろう。
ならば、桐野が聞いてるのかもしれない。
篠原は死んで、もう二度と還ることはない。
桐野もまた分厚い壁の向こう側に居る。
自然と目頭が熱くなり、涙が滲む。
いつだって篠原は柴田の手を引いてくれていた。
篠原の向かう先には角松がいて、彼は迷わず進んでいた。
だから、柴田は角松に篠原の影を見る…今も。
誰よりも真っ直ぐで、誰よりも心力の強い…本当の強さを持った男。
角松の下に引き込まれ、熱い息を吐きながら、
懐かしい艦の変わらない天井を見て、
柴田は変わってしまった親友や、己の心を思う。
後ろ向きな感傷だという自覚はあっても、思わずにはいられなかった。
温かくて懐かしい過去を、想わずにはいられなかったのだ。
寂寥感に苛まれることを恐れるように、
柴田は、かつて篠原を失った喪失感を癒してくれた暖かい腕に縋り、
涙が零れるのも構わず、きつく目を閉じる。
脳裏で篠原が、優しく微笑んでいた。
end.
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