|
佐助の部屋で教科書を見ながら、鳴門が勉強に励んでいた。 鳴門が引き取られてからの日課のようなものである。 だが佐助が広げている教科書と鳴門が見ているものは違う。 春になり佐助は中学を卒業して高校に進学した。 今、佐助が広げているものは高校の教科書だ。 しかし鳴門は進学をしなかった。 富岳は鳴門にも進学するよう強く薦めたが、中学に行かせて貰っただけでも それを期に富岳は鳴門を自身の仕事に同行させるようになった。 もちろん、鳴門には奉公人として他の仕事もある。 鳴門の留守中は他の奉公人がフォローしてくれているが、庭の剪定の手伝いや、 学校に行かない分、鳴門は仕事を頑張った。 初めはその見慣れない髪と瞳の色から煙たがる者もいたが、鳴門の明るさとめげ 中でも優秀さを見込まれ富岳の秘書をしている薬師カブトは一際、鳴門を可愛が そんな中、鳴門が励むのは未だ終わらない中学の勉強である。 小学校も終わりに近づいた頃にやってきた鳴門は、それまで施設でまともな教育 いきなり小学校の高学年の授業についていけるわけがない。 佐助は富岳に命じられ、鳴門の勉強を見てやっていた。 昔の自分の教科書とノートを元に、一年生から順に。鳴門は自分を引き取ってく 小学校を卒業する頃には勉強も追いついてきたが、それでも同じように中学の勉 中学を卒業し進学しなかった鳴門は学校に行かなくなった。それなのに何故、未だ 「ほら、こうすんだ」 問題を一つ解いてやりながら説明する。 佐助の説明に鳴門はフンフンと声を上げて頷いた。 「終った!」 目標にしていた所まで終えた鳴門はうーんと背伸びをして床にごろんと横たわる。 「おい、こんな所で寝るなよ」 「分かってるってばよ」 そう言いながら鳴門は大きく口を開け、眠そうに目を擦った。 今日は朝から富岳の仕事についていろいろ回っていたから疲れているのだろう。その 「今日は早く布団に入って寝ろ!」 佐助は鳴門の回答に丸をつけてやりながらそう言った。 「ん。そうする」 鳴門が目を細めて頷いた。 そんな鳴門の姿に佐助は呆れように呟いた。 「そういや、明日だな」 「へ?明日」 明日、何かあっただろうか? 鳴門は首を傾けた。 眠い頭で考えてみるが、思い当たらない。 「……別に良い」 「ええ、何、何だってばよ!え、明日?えええと、ちょっと待ってくれってばよ」 何か約束していただろうか? 明日は平日で学校は普通にあるし、鳴門も畑仕事に行く予定になっていた。 頭を振って考えてみるが、それ以外に予定が思い浮かばない。 「たいした事じゃねえから、気にすんな」 採点を終えたノートを返してやりながら佐助が呟く。 気にするなと言いつつ、残念な気持ちが伺える佐助に鳴門の胸はキュッと痛む。 「でもよ」 「気にすんなっつったろ!ほら、さっさと風呂入って寝ろ!明日は畑に行くんだろ。 顔を背けてそう言う佐助に鳴門は罪悪感を覚えつつ「そんなに柔じゃねえよ」 明日、明日、明日。 部屋に戻っても鳴門はずっと考えていた。
明日、明日。 何かあっただろうか? 布団に入りゴロゴロとあっちへこっちへ体を移動させながら、鳴門は考える。 だが心当たりがないのだ。 「あっ」 刹那、鳴門はハッとして声を上げ丸く口を開いた。 一つだけ、思い出したことがある。 「そうか」 そんなの意識しているのは自分だけだと思っていたのに――――。 きっと間違いないと思うと胸が熱くなった。 佐助も憶えていてくれたんだ。 嬉しくて顔が緩む。 三年前の明日、初めて鳴門がこの家に来た。 施設を脱走して、富岳に拾われたのだ。 そしてこの家で佐助に出会った。 明日で丁度、三年。 「佐助も憶えていてくれたんだ」 自分にとっては運命日。 胸が熱くなる。 鳴門はキュウッと布団を抱きしめて、柔らかな布に火照る顔を押し付けた。 明日で三年。 鳴門が自分の部屋に戻ると、急に静かになる。 いつも騒々しく、明るい鳴門がこの家に来て、丁度三年になった。 来たときはチビだったが、昨年の終わりくらいから急激に背も伸びて、自分と 出会った当初はどうなることかと思ったが、今はすっかり家に溶け込んでいる。 何事も一生懸命な所を兄も気に入っていた。 自分は……。 「三年か…」 佐助は小さな声で呟いた。 同じ年の鳴門。使用人としてこの家に来た彼とは同じ年でも決して対等な存在とはい だが、この部屋の中でだけは別だ。勉強を教えてはいるが教師と生徒というような関係 鳴門は佐助にとっては一番信頼できる友人だ。 だが、時々分からなくなる。 自分の鳴門に対する気持ち。 一緒に学校に通っている時は良かった。 ほとんど一日、一緒にいた。 鳴門のことで自分の知らないことなど無いように思えるほど。 だが、春になって二人の環境が変わり、鳴門は佐助の知らない話をするようになった。 船にしたってそうだ。 何やら父が新しい事業を始めようとしていることを佐助は母から聞いて知っていたが……。 父はあまり仕事のことを家族に話すタイプではない。 だから佐助もあまり父に仕事のことを尋ねたりはしない。 しかし、鳴門とは一緒に仕事に赴き、いろんな話をするのだろう。 特にこの所は新しい事業の話をするようで、鳴門は佐助に嬉しそうに船の事を語った。 本当に嬉しそうなその顔を見ていると胸がざわめく。 くだらない嫉妬だと分かっているのだ。 父と一緒にいて自分の知らない会話をする鳴門。 鳴門にそれを語る父。 一体、自分はどちらに嫉妬しているのか? 分からない。 何故、自分が鳴門に焼きもちを妬かなければならないのか。 学校でつい鳴門の姿を探してしまう自分がいる。 騒がしいのがいないからだと言い聞かせてはいたが、違うことは分かっていた。 明日が何の日かも憶えていない馬鹿なのに……。 フウッと息をつく。 鳴門が自分の部屋に戻った後はいつも思う。 このシーンと静まった空気。寂しさと冷たさを感じる。 先ほどまでは鳴門がいて騒がしかったのに、今は違う。 佐助はゴロンと寝返りを打って、ため息を一つ零した。 |