愛の嵐中編より 一部抜粋

 電車を乗り継いで二人は横浜に向かった。

 朝早くに出てきたはずなのに、気がつけば昼をとっくに過ぎていた。

 駅の売店で握り飯を四つ買って、それから潮の香りのする海岸沿いを歩く。

「なんか懐かしいってばよ」

 鳴門が見覚えのある風景にそう呟いた。

「この辺りで父さんと出会ったのか?」

「んーそれはもっとあっちの方。施設のすぐ近くの公園でたむろしてたからさ」

 人も食料も全く足りていない頃だった。

 逃げ出した者を追いかけるほど施設も暇ではなく、強引に連れ戻されるということもなかった。

「でもよ、金もなくてさ。落ちてるもんを拾って食おうにもそんな物が溢れてた時じゃなかった

から全然なくてさ。闇市のリンゴをかっぱらって食べたり。あんまり褒められたもんじゃなかっ

たってばよ」

 佐助には想像もつかないだろうと思いつつ鳴門は話した。

「でも俺ってば本当ラッキーだったってばよ。旦那様に出会えなかったら今頃、こんな風に懐かしん

でなんていられなかったもんな」

 きっと今でも公園でスリや盗みをして生活していたに違いない。

「俺、本当に感謝してるんだってばよ」

 富岳にも、美琴にも、李達にも、佐助にも。豊を始めとする使用人仲間にもだ。

 団扇家に行けて本当に良かった。

 佐助に出会えて本当に良かった。

「……そうか」

「ああ」

 鳴門は頷いた。

 だけどそんな団扇家に結局、自分は何もできなかった。

 鳴門の胸に悔しさが広がった。

「なあ、佐助」

「ん」 

「手、繋いでも良いか?」

 限られた時間。

 帰ったら佐助は大蛇丸の所へ行かなければならないのだ。

 別に会えなくなるわけじゃない。そう分かっていても苦しくて、胸が張り裂けそうに痛んだ。

 佐助が小さく頷いて鳴門の手をそっと握る。

「行くぞ」

 赤く染まった頬を隠すように俯いた佐助に鳴門はへへッと笑った。

 

 

 

 

 海岸で二人は海を眺めた。

 周囲には誰もいない。

 波を打つ音だけが、静かな海岸に響いていた。

 寄せては引いていく波を眺めながら佐助は思う。

 置手紙一つで来てしまったから今頃心配しているだろう。

 だが、今だけは何もかも忘れたかった。

 この所、会えば喧嘩ばかりで、こんな穏やかな気持ちで一緒にいられることが嬉しかった。

 潮を孕んだ風が二人の頬を擽る。

 繋いだ手からはお互いの温もりと鼓動が伝わってきた。

 このまま――――何もかも忘れて、どこかに行ってしまえたら―――。

 何もかも捨てて、自分だけのことを考えて。

 鳴門と一緒なら何もいらないと思える自分がいることに佐助は苦笑いを浮かべた。

 いつの間にこんなに相手を好きになっていたのだろう。

 同性であるとか、身分が違うとか、そんなことはどうでも良いことだ。

 ただ一緒にいたい。

 もっと素直に鳴門にそう伝えていれば変わっただろうか?

「佐助」

 鳴門も同じことを考えていたのか、苦笑いを浮かべて佐助の手をキュッと握り締めた

「このまま俺と―――」

 顔を歪め、苦しそうに鳴門が呟く。

 何処か遠くへ―――。

 行ってしまおうか?

 だが、父や母はどうなる?

 ずっと団扇家を支えてくれたみんなは?

「鳴門」

 気がつくと鳴門の瞳から涙が溢れ、頬をぬらしていた。

 佐助の頬にも雫が伝う。

 鳴門の手が佐助の頭を包み込むように触れた。

「佐助」

 優しい声で佐助の名を呼ぶ。

 その声が切なくて佐助は瞳を閉じた。

 ゆっくりと鳴門の顔が近づいてくる。そっと触れられた唇の感触に佐助の瞳から涙が溢れた。

 

 

 

 

 ゴロゴロと鈍い音が空から響き渡る。 

 突然、空が陰り、雨が降ってきた。

 激しい雨に雨宿りする間もなくずぶ濡れになる。

 二人は海岸近くの民宿の軒下に一時避難した。

 

 

「はい、タオル。ここに置いておくわね」

 人の良さそうな恰幅の良い女将がそう言って二人にタオルを手渡す。

 彼女はこの民宿の女将で「玉緒さん」と名乗った。

「すみません」

 佐助が詫びると女将は「困った時はお互い様よ」と言って笑う。

 窓の外に視線を向けると雨は雷を伴い先ほどより更に激しくなっていた。

 おそらく通り雨だろう。

「だけど助かったってばよ」

 鳴門がガシガシとパンツ一丁で頭を拭きながら呟いた。

 佐助も濡れた服を脱ぎながら頷く。

 ここは港に程近い木造建二階建ての民宿だった。小さな民宿は釣り客用なのだろう。丁度、客のいない

時間だったこともあって、軒下で雨宿りをしていた少年達の姿が女将の目に止まったのだ。

 一人は随分見目の良い少年で身なりの良さから育ちが伺えた。

 もう一人は外国人とのハーフなのか青い瞳に金色の髪をしている。米英兵がうろついているこの辺りで

は珍しくはない。

 二人の少年は突然の雨にずぶ濡れになり、民宿の軒下で体を丸めていた。

 女将はそんな二人を雨が止むまでの間と、中に入れた。

 使っていない部屋があるから好きに使えば良いと女将は言って、部屋に二人を案内した。

 部屋は六畳の和室に小さな洗面台があるだけの簡素なものだった。

 黒髪の少年が財布から紙幣を取り出し女将に渡す。

「良いよ。どうせ短い間なんだし」

 お茶なんかは出さないが自由に使って良いよ、と言い残して女将は部屋を出て行った。

「それにしても驚いたよな」

 あんなに急に雨が降ってくるとは思わなかった。

 鳴門は浴衣に着替え、濡れた衣服を絞りながら呟いた。

「そうだな」

 同じように佐助も浴衣に着替え服を絞る。

 窓の珊に服を掛け、畳みに腰を下ろした。

「どんくらいで止むかな」

 窓の外をぼんやりと見つめる。

「さあな」

 帰りの時間を考ればそろそろ駅に向かわなくてはならない。

 だが窓を打つ雨の激しさにそんな気にもなれず、佐助はため息を零した。

 まるで帰るなと言っているようだと二人は思う。

 先ほどの話の続きではないが、帰ればこんなふうに二人が一緒にいられる機会はもうないだろう。

 徳島へ行くつもりはないが、今まで以上に二人の身分の差を感じることになるだろうことは容易に想像

がついた。

「寒いな」

 先ほど濡れたせいか、寒くて佐助は膝を抱えた。

「大丈夫か?」

 鳴門が心配そうに覗き込む。

「風邪引いたんじゃ」

 そう言って鳴門は佐助の前髪を掻き上げると額に自分の額を押し当てた。

 息が掛かるくらい近くに鳴門の顔がある。

 ドキンと佐助の胸が高鳴った。

 先ほどの口付けを思い出し、佐助は恥ずかしさに顔を背ける。

「そんなやわじゃねえよ!」

 あのまま雨に打たれ続けていたら分からなかったが、流石に少し雨に濡れた程度で熱を出すほどか弱

くはない。

「少し冷えただけだ」

 それに熱が出たというよりは、ただ雨に濡れたせいで体温が下がり、寒く感じるのだ。

 体を震わせると鳴門の腕が佐助の体を包み込んだ。

「鳴門」

 佐助の心臓が今にも壊れそうなくらい激しく音を響かせる。

 それは鳴門も同じで、照れたように鼻の下を掻く鳴門は僅かに頬を赤く染めていた。

「佐助、もう一回キスしても良い?」

 意を決したようにそういう鳴門に佐助は「馬鹿」と呟いた。

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