追憶のむこうに(サンプル1)

<プロローグ>

 
ザー……。

 

 激しい雨音に紛れるように、そっと足を忍ばせる。

 青い瓦屋根の屋敷は最近建てられたものだ。庭には彼の趣味ともいうべき植木鉢が所狭しと置かれている。トマトやセロリと言った野菜の鉢が多いようだ。花は夏の風物詩ともいえる

ひまわりが綺麗に咲いていた。

 決して広いわけではないのだが、どこか温かみを感じる庭だ。

 火影の住居としては小さめだが、彼は随分この屋敷を気に入っていた。

 トラップや結界に気をつけながらそっと庭を抜け、襖に近づく。

 音を立てず襖を開くと、部屋の中央に赤子が眠るベットが置かれていた。

 

 ザー……。 

 

雨に濡れた髪をかきあげて、サスケは薄暗い部屋に足を踏み入れた。ゆっくりと視線をさまよわせる

部屋の中央にはベビーベットが一つ置かれている。

サスケは息を潜め、ゆっくりとそれに近付く。

ベッドには金色の柔らかそうな髪をした赤子が一人、青いつぶらな瞳を天井に設置されたクルクルと回る飾りに向けて

いる。

 事は迅速に行わなくてはならない。

 泣かれたりしたら面倒だ。

 そう思いながらサスケはそっと袖に隠し持っていたクナイを握りしめる。

 この赤子は里に災いをもたらす。

 生きていてはいけない赤子なのだ。

 殺せ。

 それが自分に与えられた任務。

 声を出す間も与えず、迅速に心臓を貫けば、それで任務は終わる。

 相手は何の抵抗もできない赤子なのだ。

 瞳を閉じれば思い出す。

 無念に死んでいった者たちの顔が浮かぶ。

 父、母、そして大好きだった兄。

 まだ幼い自分を残して死んでしまった。

 思い出すのは里の一角を焼く炎と明確な殺意でもって自分を包み込み覆い隠そうとする黒い煙。

 あと数分遅ければ自分は死んでいたのだと言う。

 死ねば良かったのだ。

 幾度となくそう思った。

 みんなと一緒に自分も死ねば良かったのに……。

 しかし、自分は生きている。

 おせっかいなヤツが自分を救った。

 皮肉だな、とサスケは心の中で呟いた。

 死ねばよかったはずの子供が生まれたばかりの尊い命を奪おうとしている。

 こんな小さな赤子を殺すことなど下忍にだって出来るだろう。上忍である己が命じられる任務ではない。 

 それなのに何故、自分なのか?

 自分に命じた男の思惑が分からないわけではない。

 無垢な赤ん坊。

 まだ悩みも苦しみも知らない。

 だが、その腹の中には邪悪な獣が収められている。

 赤子は人柱力だった。

 かつて里を襲い、幾度となく苦しめてきた九尾の人柱力だ。

 同時に火影の一人息子でもある。

 四代目火影には恩があった。彼の息子であれば命を掛けて守りたいと思う。

 だがそれ以上に九尾には恨みがあった。

 そうだ、とサスケは呟いた。

 九尾さえいなければ……今と違った未来があったかもしれないのだ。

 これは復讐だ。

 ここにいるのは彼の息子ではない。

 大切な人達を奪った九尾を人柱力ごと始末するのだ。

 何を躊躇うことがあるのだ、とサスケは思った。

 サスケの髪から雫が一粒落ちてシーツの上に落ちる。

 刹那、赤子は瞳をサスケに向けた。

 透き通るような綺麗な青。

 赤子は何か言いたげに口をモゴモゴさせた。

 そんな赤子の口を塞ぐ為、手を伸ばせば、赤子の小さな手がサスケの指をキュッと握りしめる。

 その瞬間、ドクンと心臓が音を立てた。

 青い瞳がまっすぐにサスケを見つめている。

 ドクン。

 心臓がわしづかみされたかのような衝撃が走る。

「俺は……」

 この赤子を殺しに来たのだ。

 それが自分に与えられた任務である。

 彼の父親は里の長でもある凄腕の忍だ。赤子はともかく彼と戦うとなると話は違ってくる。不在である今こそ赤子を葬る絶好のチャンスなのだ。

「何を今更・・・」

 ためらうことがあるというのだ。

 自分の手は既に多くの忍の血で汚れている。

 こんな赤子一人――――。

 何を躊躇っているのか。

 確かにこれは里の長から下された正規の任務ではない。赤子を殺せば里の方針に逆らったとして自分にも極刑が強いられるだろう。サスケにこの任務を下した上司からは身柄を

保証すると言われていたがそんなこと信じてもいない。

 しかし、ここで手を引けば奴らは証拠隠滅にサスケを殺そうとするだろう。

 もちろんそんな事が恐いわけではない。

 成功しても奴らは自分を消そうとするに違いないのだ。

 ならば何故、自分にとって利益のない任務を受けたのか……。

 決まっている。

 自分は殺したかったのだ。

 忌々しい九尾とその人柱となる子供を……この手で殺したかった。

 ならば、迷うことはない。

 それなのに澄んだ瞳に射抜かれて動けないでいる。

 何をやってるんだ、とサスケはチッと舌を鳴らした。

 もう自分の手は充分過ぎるほど汚れている。これ以上、汚れたからと言って何の支障があるだろう。

 地獄に行くのは決まっているのだ。

 サスケは赤子の澄んだ青い瞳を避けるように、目を閉じた。

 早くしなければ仲間が引きとめている火影が帰ってきてしまう。

 早く。

 時空間忍術を使う彼には時間稼ぎなど、無意味に等しい。今、この瞬間にでも目の前に現れるかもしれないのだ。

 目を閉じていても心臓の位置など感覚で分かる。

 サスケは赤子の口を手で覆い、クナイを掲げた。

 早く。

(どうしてだ!)

 分かっているのに、振り上げたクナイを下すことができないのは何故なのか?

(何をやってるんだ!俺は!)

 刹那、サスケの髪から落ちた水滴が一粒、赤子の頬の上に落ちた。

「ふえっ」

 赤子が顔を歪める。

 突然、降ってきた冷たいものに驚いたのだろう。

 フギャーと泣き始めた子供にサスケは思わず口を覆っていた手を引いた。

「あっ」

 赤子が体をバタつかせ大声で泣き始める。

 マズイ。

 そう思った瞬間、サスケは赤子を抱きあげていた。

「な、泣くなっ」

 焦りをにじませた声でそう言ってサスケは赤子を胸に抱く。

 柔らかな温もり。

(俺は何をっ)

 さっさと殺せばいいものを……。

 赤子はサスケの濡れたベストを嫌がって、体を捩る。親とは違うにおいに泣き声がますます大きくなった。

「頼む、頼むから泣かないでくれ」

 何故、そんなことを言ったのか分からない。

 刹那、カタンと玄関の方角から音が聞こえた気がした。サスケはビクンを体を跳ね上がらせ、目を見開く。

 心臓が破裂しそうなほど音を立てる。

 

 自分でも何をやっているのかわからない。

 

 気づけば赤子を毛布で包んで部屋を飛び出していた。

 

「俺は…一体」

 

 何をしようとしているのか?

 降りしきる雨の中、サスケは走りながら思う。

 そんなつもりはなかった。

 こんなことをするつもりであそこに行ったわけではない。

 一体、どうしようというのか?

「今ならまだ間に合う」

 里を出て、森の中で人知れず赤子を始末すれば良い。

 それで任務は終わる。

 だが――――。

 腕の中の小さな塊に視線を向ける。先ほどまで泣きじゃくっていたはずの赤ん坊はサスケの腕の中で安心したように眠っていた。

 誰かの庇護がなければ生きられない小さくてか弱い。

 だけど……。

「温かいな……」

 こんなに冷たい雨の中であっても赤子は温かった。

 忘れていた温もり。

「俺は…」

 涙が溢れてくる。

迫りくる足音。

追いかけてくる影を振り払うようにただ走る。

 それが始まりであることを感じながら、サスケは決意したように、その赤子をキュッと抱き締めた。

 

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