◆第六話 〜仄暗き部屋の主〜

昨夜、菊池に請われてこの草加のいる営倉まで案内をしたものの、
両人の間で交わされた会話は河本には到底理解できないものだった。

勿論、当人達もそれを承知の会話であったようだが、
河本には解らないなりにも何かの予兆としか思えない出来事である。

その予兆と何か関係があるのかは判らないが、
河本は菊池のみならず角松もやって来たという話を耳に挟んでいる。

ここの見張りをしていてはあまり様子を伺えなかったが、
小さな騒ぎがあったようにも聞いている。

やはり角松も草加に会いに来るのだろうか…などと考えていたら、
前方の廊下から誰かが来るのが見えた。

白い将校の制服が、暗い廊下の下でも薄ぼんやりと、
発光するかのように見て取れる。

「…滝中佐。」

思わず零れた呟きを打ち消すかのように、
河本は口元を引き絞めて姿勢を正し、
小気味のいい乾いた音を踵で発して敬礼をする。

そして、その格好のまま目の前の光景に息を飲んだ。

「ごくろう。」

掛けられた声に返事をすることも忘れ、
目の前を横切る一行を河本は呼吸もままならずに見守っていた。

滝の両腕には何故かバタバタと暴れ倒している人の形を象った物体が、
しっかりと脇でホールドされていたのだ。



「で、何なのだ、それは。」

「愛らしいだろう?」

「……答えになっていないぞ、滝。」

『放せ! 激濃ゆ!』

『触るな! 変態!』

「違うだろう、お前達。栄一郎だ、さっきも教えただろう?
 え・い・い・ち・ろ・う。」

『呼ぶか、馬鹿者!』

『生意気だぞ、家来ですらないくせに!』

「……で、コレのどの辺りが愛らしいと?」

「ふっ…それはもう全てが。
 全身から立ち込める愛らしさと、匂い立つような気品…。」

「だから、どの辺りが?」

「ええい! 草加!! 貴様にはこの素晴らしさが解らんのか!?」

『…草加だと?』

滝の左腕でじたじた動いていた人形が、ぴたりと動きを止めた。

そして上質の宝玉を嵌め込んだような瞳を、
前方に座る草加拓海その人に向け、
品定めでもするように、すうっと目を細めた。

そんな遠慮のない視線を受けて、草加は小さく感嘆の声を漏らす。

「なるほど。可愛いかどうかは別として、
 なかなか精巧な造りのようだ。」

『貴官が草加という御仁か?』

「いかにも、私が草加だ。見たところ人形のようだが銘はあるのか?」

『私は、海軍少佐たっくん。ローゼンメイデンの第五十五ドール。』

「何故、私の名を知っていた?」

『我が主から聞いたからだ。』

「お前の主とは?」

『角松洋介という御方。』

「何!? 角松さんだと!?」

思いがけず飛び出して来た懐かしくも愛おしい名に、
草加は思わず声を上げる。

その瞬間、脳裏に溢れ出した角松との甘い日々を思い出しながら、
草加はその口元に切なげな笑みを刻んだ。

そして、唐突にマレーでの甘い思い出が、
ミッチリムッチリ詰まった、胸ときめく果実、
マレー産のバナナが無性に食べたくなる己に、
一抹の哀しみを覚えながらも、
草加は心の中でそっと愛しい男の名を呼ばわる。

この営倉で密かに飼っているヤモリにもつけた、その名を。

「角松さん…ああ、洋介! 貴方に会いたいっ!!」

草加の呟きにしては、デカすぎる独り言を聞きつけた人形は、
思い切り顔を顰め、先程までよりも幾分横柄な口調で、
以前から肚に据えかねていた事柄を目の前の敵に叩きつける。

『貴官の所為で、
 菊池という眼鏡の男に私は随分と邪険にされている。』

「私の所為? どういうことだ?」

『私としては非常に不本意だが、主が似ていると仰るのだ。
 我々のことを。』

「角松さんが…そうか、
 ずっと私のことを考えてくれているのだな…。」

『だが所詮は、過去の人。今は私がお傍に居る。』

「今、お前の傍に居るその男は、明らかに滝だが?」

『うっ! こ…この男は関係ない! 今は故あって、
 お傍を離れているが、すぐに迎えに来て下さるのだっ!』

「どうでもいいが、滝。そっちの人形は菊池三佐に似てやしないか?」

草加は机に頬杖をついて、滝の右腕に抱えられたまま、
ぱたぱたと動いている人形を指差して言った。

営倉の薄暗さのせいか、激しく反射する眼鏡の奥から、
切れ長の美しい目と草加の目が合い、冷ややかに視線を絡ませた。

『似てるものか! 俺はファティマ・まーくん。
 希代のマイト、バランシェ公の最後の作品だぞ!』

「今のはいったい、どの辺りが名前なんだ?」

『まーくん、だっ!』

「礼を言うぞ、草加! この子達ときたら恥かしがり屋さんで、
 なかなか名前を教えてくれなくてな!」

「滝…お前。相当見くびられているようだな、人形風情に。」

「これが愛というものなのだろうか…。
 何を言われても許したくなるのだ。」

顔を赤らめて、うっとりとした面持ちでそう語る滝を、
奇異の眼差しで眺めていた草加だったが、
目の前の異常な情景の刺激が思いのほか強烈だったせいか、
何事にも強靭な男には珍しく、
食あたりにでもなったかのように吐き気に襲われた。

「……もういい。イソロクやヨウスケの相手をしていたほうが、
 精神衛生上、良さそうだ。」

「イソロクとヨウスケ!? 何だ、それは!
 山本長官と角松の名ではないか!」

『よーすけ、だと?』

「うるさいな、この営倉に住み着いているヤモリに私が付けた名だ。
 お前達には関係ない。」

『そうはいかん。俺の夫の名を気安く呼ばれては不愉快だ。』

「今、何と言った? まーくん!
 かかか角松が、おおお夫だとっ!?」

「……聞き捨てならんな、どういうことだ?」

『俺がよーすけを主と決める際に、婚姻を盟約としたからだ。
 このエプロンが何よりの妻の証!』

「趣味の悪い前掛けだな。だいたい人形風情にあの人の妻など、
 務まるわけがない。
 人形にどれほどの知識があるのかは知らんが、
 台所仕事だけが妻の務めではないぞ?」

『心配はいらん。
 実は貴様の言うところの妻の務めとやらも可能にする方法がある。
 だが、それはよーすけだけが知っていればいいこと。』

『蛇の道は蛇と言うが、人形にも人形の道があるということだ。
 ふふ…正しい使い道は主とだけの密儀。』

「…だそうだぞ、滝。
 探せばどこかに使える穴でも開いてるんじゃないか?」

「なんと! そういう類いの人形だったとは!
 この滝としたことが、盲点だった!」

『無駄だ、愚か者め。
 主以外には使えない仕組みになっているに決まっているだろう。』

『その為に結ぶ盟約なんだからな!』

「くぅっ!!」

悔しそうな呻き声を上げて粗末な机に突っ伏す海軍参謀に、
人形達は高飛車な態度を崩すこともなく、
見下した目で滝を見て変態だの異常性愛者だのと言って罵っている。

そんな様子を横目に見ながら、
草加は彼らに聞かれぬよう吐息のような小さな声で囁いた。

「あの人は生身の人間が好きな人だ。
 体温とか鼓動とか…そういう生きてるものを愛している人だから。」

しかし、その呟きは暗い営倉の壁を越えることなど到底叶わずに、
この部屋に篭る空気に溶けて霧散した。

end.
 
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