◆第五話 〜帰らじの人〜
遅い! よーすけは何をしている!?』
『角松氏は、未だ御帰艦されないのか?』
「…って、まだ出掛けてから二時間と経っちゃいねーじゃねぇか。」
人形達に艦の周りが良く見渡せる場所に連れて行けと命令され、
半時間ほど前に尾栗は二体を小脇に抱えて艦橋に来ていた。
どうやら人形達は、角松の帰るボートが、
いち早く見える場所へ行きたいと考えたようである。
そして気が付けば、一番座り心地に良い艦長のシートを、
二体で完全に占拠していた。
「だって、洋介は雅行を連れて帰るために行ってんだから、
仕方ないんだよ。たっくんは雅行に昨日会ってるだろ?」
『ああ、あの陰険眼鏡オヤジだろう?』
「たっくん…頼むから、それ雅行の前で言わないでくれよな。」
『私は角松氏の命令しか聞かない。』
「たっく〜〜〜ん!!」
恐ろしい場面を想像した尾栗が、さめざめと泣きながら、
艦長席の肘置きに取り縋っていると、
もう一体の人形が、地を這うような不機嫌な声で低く呟いた。
『…気に入らんな。俺という妻がありながら。』
「ちょっ!! 何だ、それ! 妻って!
まーくんは洋介と結婚してる設定なのか!? いつの間にっ!」
『確かに珍しいことには違いないが、
ファティマであってもマスターと結婚したり、
子を産んだ例はある。』
「子供まで産めるのか!?」
『現に四十四番のシリアルナンバーを持つ俺の姉は、娘を産んだ。』
「…それってお姉さんだからじゃねぇの?
まーくん、男みたいだけど産めるのか?」
『ハッ!! そっ…そう言えば、
兄達が産んだという例は聞いたことがないっ!!』
「………まーくん。」
『ふ…愚かな。』
『なんだと! 貴様ァ!!』
この二時間というもの、
二体は主人である角松の目がないのを良いことに、
ことあるごとにこの様な小競り合いを繰り返していた。
しかし争い罵りあう姿さえ可愛らしい人形達は、
逼迫した現状を憂う乗員達に、
間違いなくひと時の安らぎを与えている。
陸では言葉せめぎ合う攻防の最中であったが、
艦の中はいたって平和な時が流れていた。
けれど、角松・菊池両名と親友である尾栗の心境だけは、
少しばかり複雑なものがある。
尾栗は本物の菊池より、幾分可愛らしいところの目立つまーくんを、
大層気に入っていたが、やはり本物の菊池のことも大層心配していた。
「雅行…大丈夫かなァ。滝に変なことされてねーかな。」
『心配なら見に行ってみないか? 尾栗氏。』
「そうしたいのは山々だけどダ〜メ。
艦長命令で留守を任された身だしな、
俺には留守番としての責任がある。」
『でもこーへい、まさゆきのことが心配で仕方ないって、
顔に書いてあるぞ。』
「……君たち、何を企んでるのかな?
何のことかとかはナシだぜ? 俺はそんなに鈍くはない。」
『企んでるなどと、人聞きの悪いことを…。』
『俺達は提案をしようとしているだけだ。』
「……もしかして、洋介の所へ連れて行けって言ってんの?」
『さすがだな、尾栗氏は話が早い。』
『しかも、かなり話の解る男のようだ。』
二体と一人の私利私欲に満ちた希望が、
明らかな行動へと変わってからの主に尾栗の行動は、
人間業とは思えないくらい凄まじく迅速だった。
尾栗は早速帝国海軍から支給された軍服を着込み、
残った他の佐官を呼んで留守を頼み込むと、
科員たちに内火艇を降ろさせる。
そして、もはや移動時の定番となった二体の人形を、
両脇に抱え込んだポーズで、何故か袋いっぱいの荷物を背負って、
躁舵手と共に内火艇に乗り込んだ。
「…で、なんだってお前達がここにいる?」
角松の声は怒気を孕み、その背からは不穏なオーラが立ち昇っていた。
別室に控えていた菊池や数名の海軍関係者も、
騒ぎを聞きつけて駆けつけている。
『貴方の帰りがあまりに遅いから来てしまった!』
『心配したたぞ、よーすけっ!』
「どういうことだっ、尾栗!!」
「は! 申し訳ありません、艦長!」
「…それより、何故人形の数が増えているんだ!?
しかもこの容姿、俺への嫌がらせか!?」
「あ、まーくんは雅行の留守中に、
何処からともなく出現したんだよ。」
「…実を言うと、俺は密かに菊池の差し金かと思っていたんだが…。」
「俺がこんな趣味の悪いエプロンを着けさせるわけがないだろ!
こんのバカ洋介!!」
角松の両足に人形をへばり付かせたまま、三羽烏が言い争っていると、
つい先程まで角松と二人で密談を交わしていた海軍参謀が、
よろよろと覚束ない足取りで近寄って来た。
滝は手前に居た菊池と尾栗を思い切り両手でかきわけ、
角松の足元を凝視している。
二体の人形も不躾な視線を感じて、その視線の主を睨み上げた。
『何をジロジロ見ている? 無礼な奴だな。』
『粗忽者に用はない、下がれ。』
まるで下賎の者でも見るような目で横柄に命令され、
滝はぶるぶると震えだした。
華族出身の彼にとって、このような蔑みの言葉は、
いたく誇りを傷付けるものであっただろう。
そこに居合わせた誰もがそう思い、
滝が怒りが沸点に達することを予感したその時のことだった。
「…あ…あいくるしい…っ!!」
予想外の言葉が滝の口から転げ出して来て、一同は一斉に固まる。
「角松二佐っ!
ここここの愛くるしい生き物はいったい何なのだ!?」
「生き物じゃねぇよ。まあ、カラクリ人形みたいなもんだ。」
「この様に麗しく愛らしいものを見たのは、生まれて初めてだっ!!」
「ああそう、良かったな。」
「是非とも私に譲ってくれ!!」
「はぁ?」
突然の申し出に、滝以外の全員が素っ頓狂な声をあげた。
譲って欲しいということは、
この人形達を滝が所有したいという事に他ならない。
誰もが脳裏によぎった嫌な想像に慄いて、額に脂汗を浮かべた。
譲って欲しいと言われた人形達などは蒼白になって震えだし、
居並ぶ人間達の誰よりも酷い状態だった。
『ば…馬鹿を言うな! 俺達クラスの人形は主人を選ぶんだぞ!』
『そうだ! 我々がお前を主人に選ぶことなど絶対にない!!』
「私の物になれば、何でもお前達の望み通りにしてやるぞ?
何が望みだ?」
「おい、滝中佐。それってエロ親父の口説き文句の定番だぞ…。」
『望みならいくらでも叶えてくれる家来が、我々には大勢居るっ!』
『しかし、主人はこの世に一人だけ! それが、よーすけだっ!』
背に腹は代えられないとでも思ったのか、
人形達は珍しく互いに共同戦線を張っている。
滝はくやしさに歯噛みしながらも、
これまた人形達同様に背に腹は代えられないと思ったようで、
仇であるはずの松に対して助けを求めた。
「角松二佐、何とかならんのか!?」
「なんとかは自分でされることだな、滝中佐。
しかしまあ、ちょうどいい。
しばらくこいつらを貴官にお預けしようじゃないか。
その間に、己の力量で口説き落とされるが良かろうよ。」
「本当か!?」
『何を言っている、よーすけ!』
『我々をこの男の許に置いて帰るというのか!?』
「命令を破ったヤツには、お仕置きってもんが必要なんだよ。
これがお前らには一番堪えるだろ?」
『ばかっ! そんな惨いお仕置きがあるか!
お仕置きって言うのは、もっとこうささやかで、
可愛いらしいものだろっ!?』
『頼む、角松氏。どうか今回だけは不問にしてくれないか?
こんな濃い奴と四六時中一緒に居たら、
間違いなく窒息死してしまう。』
「駄目だ。罰としてお前達は滝の許に預ける。
尾栗はコイツらと引き離して連れて帰る。」
「嘘だろ! 洋介! そりゃないぜ!」
『許してくれ、よーすけ!』
『角松氏、ごめんなさい!』
「問答無用! 滝中佐、頼んだぞ! 雅行、康平を縛っておけ!」
「おおお! 感謝するぞ、角松二佐!!」
「康平…洋介のヤツ相当怒ってるぞ。 覚悟しとけよ?」
次の瞬間、一人と二体の悲痛な叫び声が響き渡った。
人形達は滝の濃ゆい顔に頬擦りされて悲鳴を上げ、
尾栗は縛られたまま艇の後方に結び付けられて、
水上スキーの真似事をさせられる羽目となった。
その際、角松と菊池は艦の命運を握る不穏な会話に勤しんでいたが、
後方で水に巻かれながら叫びを上げる尾栗の声は、
エンジンの音に掻き消されて全く聞こえなかった……らしい。
end.
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