第六話 安息日のお誘い・後編


こんな大勢で来ることになるのは予想外であったとしても、
そもそも、なぜプールだったのか。



ことの発端は、いくら利己主義の化身のような拓海であっても、
やはり母親であったということである。

夫に対して何の罪悪感も抱かない拓海であったが、
我が子・海洋に対しては、少しばかり罪悪感を感じていた。

割と頻繁に、栄一郎にあやされているとは言っても、
本当の父親の胸に抱かれずに育つ息子が、
母親の拓海には、可哀想で仕方がなかったのだ。

そこで、本当の父親に抱かれた息子の写真が欲しいと思い、
拓海は洋介を連れ出す方法を考えた。

遊園地も候補に上がったが、
まだ乳飲み子の息子には乗れるものも少ないと却下した。

また、緑地公園へピクニックへ行くことも考えたが、どうせなら、
自分もアピールできるプールへ行ったほうが得策ではないかと考え、
その日の内に、高級ブランドの直営店に赴き、
今年の第二段として入荷されたばかりの水着を、
店頭に並べられる前に特別室で物色して、早々に手に入れた。

そうしてから、角松の会社へと直行したのである。



水着姿の拓海は自然と周囲の目を惹いた。

ぬけるような白い肌を包む、パール掛かった白のビキニは、
何とも言えない上品さを醸し出して、見るものを圧倒する。

幼子を抱いているゆえに、かろうじて母親だとは解るものの、
子供を産んだとは思えないほどの、
完璧なラインを保っている美しいボディに、
老若男女を問わず、感嘆の溜息を漏らしていた。

しかし、隣に並ぶ雅行も負けてはいない。

白磁のような滑らかな肌に、光沢を抑えた黒のビキニが映え、
華やかで艶めかしい雰囲気を纏う姿に、周囲は釘付けになる。

モデルのようにバランスの取れた細い手足が、
緩やかに動いて歩を進めるのは、美しい蝶のように優雅で、
その細い手が振られた先に目を凝らすと、
面立ちの似た幼児がいて、二人が紛うことなき親子だと物語っていた。

その点、普通より少しばかり筋肉質な康平と、
細いばかりで針金のような克己は、見事に一般人に溶け込んでいる。

人目を惹く二人が行き着く先には、立派な体格の長身の男がいて、
自然と好奇の視線が集まってしまっていた。

「もう、泳いでいるかと思ってたのに…待っていてくれたのか?」

「ああ、準備体操までは済ませておいたんだが、
 この人ごみだから、はぐれたら大変だと思ってな」

「じゃあ、随分とお待たせしてしまったのではありませんか?」

「そんなことないですよ。さっき準備体操を終えたところです。
 …あれ? 康平たちはどこに?」

「おかしいな、さっきまで一緒だったんだが…」

「売店にでも行かれたんでしょうか?」

三人から死角になるところで、康平はコソコソと、
娘を抱く克己に弱音を吐く。

「如月〜! 俺、アイツらと一緒にいるの、やだよ〜!!」

「ちょっと、尾栗さん。アンタがそんなんで、どうするんですか!」

「だって、アレじゃ、面白おかしい見世物じゃねぇかよっ!」

「居たたまれない気持ちは良く解りますが、
 一緒に行くと決めたのは、他ならぬアンタ自身でしょう?
 しっかりして下さいよ、もう…」

「やっぱ、洋介ひとりで行かせりゃ良かった!!」

「いや、その選択は非常にマズイ…って、そこまで嫌なんですか?」

「野次馬すんのは好きだけど、されんのは嫌だっ」

「あー、はいはい、御託はいいから行きますよ」

問答無用で克己に引き摺られながら、康平は本気で半泣きだった。



「角松さん、海洋の写真を撮りたいのです。
 少しの間だけ、抱いていてやって下さいませんか?」

「ああ、良かったら、俺がシャッターを押しますよ」

「いえ、角松さんに抱いてやって頂きたいのです」

「え? 俺に…ですか?」

「はい、お願い致します」

そう言ってデジカメを構えた拓海が、フレーム内に見た光景は、
忌々しい夫の愛人が、その愛息と共に洋介に腕を絡めている姿だった。

「すみませんね〜、俺達まで一緒に撮って頂いて!」

思わず拓海は、デジカメで口元を隠して舌打ちする。

だが、すぐにニッコリ笑って、再びカメラを構えた。

「じゃ、笑って下さ〜い!」

そう言ってシャッターを押すと、拓海はすぐにカメラを取り下げた。

雅行がしたり顔で、満足気に腕を解いて洋介から離れた瞬間、
角松さん!…と、声をかけられ、こちらを向いた洋介を、
息子と共にフレームに収めて、拓海は素早くシャッターを押す。

「あっ!!」

雅行が気付いた時には、既に撮影は終わっていた。

思わず、雅行が差し出した手の先に立つ男は、振り返って、
どこまでも脳天気に、幼馴染みを打ちのめす言葉を吐く。

「じゃ、雅行。次、お前がシャッター押せよ」

「わあ、すみません、菊池さん。助かります〜!」

ここぞとばかりに、拓海がわざとらしい口調で、先んじて礼を述べた。

雅行は無言で、拓海の手からデジカメを受け取り、
並び立つ洋介と拓海に向って、カメラを構えた。

「はい、撮りますよ〜」

そして、シャッターを押す瞬間、迫真の演技でよろめいてみせる。

雅行の手から転がり落ちたカメラは、高い放物線を描いて、
やがて水柱を立てて水没した。

「うわっ! 雅行、お前っ!」

「ああ! ご…ごめんなさい! 私ったら、大事なカメラを!!」

「あ〜、もう! すみません、拓海さん!
 雅行は意外と慌て者で…でも、悪気はなかったんです」

雅行のミスを庇う洋介の言葉に、拓海は内心、怒りが増していたが、
はらわたが煮えくり返るのを、どうにか抑え込んで、
拓海は、水没したカメラを拾いに水へ入った。

程なく、水面から顔を出した拓海は、雅行に視線を合わせ、
柔らかく微笑むと、穏やかな口調で言った。

「ご心配なく、菊池さん。このカメラ、完全防水ですから」

「あ…ああ、そうなんですか。それは…良かった」

雅行は引き攣った笑みを浮かべつつも、
気を取り直して、拓海に手を伸ばして言った。

「それじゃ、もう一度、撮り直しますね」

「それが、私のミスで充電が不十分だったみたいです。
 バッテリー不足の表示が出てしまってるので、今日は結構です。
 よろしければ、またの機会にお願い致します」

今度はカメラのデータ自体を、全消去してやろうと、
雅行が目論んでいるのを察したのか、
拓海はにっこり笑って、完全無欠の断りの言葉を吐き、
素早くカメラを仕舞い込んでしまった。

「康平、ウチのカメラあるだろ? あれ、持って来てくれ」

「じゃ〜ん! そう言うと思ったぜ、洋介」

洋介の言葉に、反射的にカメラを隠そうとした克己よりも、
康平がカメラを掴んだほうが早かったらしい。

「さっすが、康平! さあ、拓海さん、海洋くんをお返しします。
 ほら、雅行も雅洋を抱いて、早くここに来い」

「写すぞ〜! はい、チーズ!! じゃ、次は如月と俺〜!」

こうして、角松家のデジカメの容量がいっぱいになるまで、
康平は洋介と交互に、
微妙な空気を纏う面々をフレームに収め続けたのだった。





出張から帰宅した栄一郎は、テーブルに散るものを手に取り、
目を剥いて叫んだ。

「な…なんなんだっ! この写真はっ!!」

「うるさい、私に聞くな!!」

妻と愛人が水着姿で同じ画面に納まっている写真を見て、
みっともないくらいに取り乱した栄一郎の叫びに、
拓海は、逆ギレして怒鳴り返した。

いつも嫌味なくらい涼しげな拓海の、
珍しく怒りに満ちた顔を見て、栄一郎は驚いて黙り込む。

どうして、よりにもよって雅行や隣家の夫婦と一緒に、
プールなんぞに行ったのだと、厳しく問い質したかったが、
拓海のあまりの怒りっぷりに、栄一郎は言葉を失った。

しかし、その怒りが夫を巡って愛人に向けられた悋気なのだと、
そう思い込んだ栄一郎は、
鼻をそびやかすようにして、満足の笑みを浮かべた。

その思い込みは、半分は当たっていたが、
気の毒なことに、半分ははずれだった。



そして、角松家から贈られた大量の写真と分けて一枚だけ、
拓海の手帳にひっそりと挟み込まれた写真の存在など、
有頂天を味わう栄一郎は、欠片も知らずにいたのだった。


第六話 end

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