朱い珠

二.



 僅かに扉を開いた瞬間、漂ってくる匂いに佐助は眉間に皴を寄せた。
「これは…」
 静かにそう呟いて暗闇に目を凝らす。
 手は腰に携えた刀の柄を握り締める。
 血の匂い。
 まるであの夜を再現しているかのようなこの状況に胃から酸が迫り上がってくる。
 しかし動じている場合ではないのだ。
 今、自分が想像している通りだとすれば……。
 佐助は刀を抜いた。
 それから刀を持つ手とは反対の手でゆっくりと扉を開いていく。
 月明かりの下、露になったその様子に佐助は息を呑んだ。
 目の前の状況は予想通りの地獄絵図。
 折り重なるように転がる死体の山とむせ返る様な血の匂い。
 思わず吐き気を催しながらも刀を握り直し、一気に扉を開いた。
 佐助がこの場所に訪れたのは二度目である。
 ここは昔、大名であった父に仕えていた家臣の屋敷であった。
 父を含め、一族が『暁』と名乗る組織に惨殺された後、後釜に納まった大名を嫌って国を出たこの屋敷の当主は刀の腕に自身があったことから、故郷に戻り道場を開いていた。
 一度目にここを訪れたのは三日ほど前のことだ。
 その際、ここの当主にあることを頼まれ、森を抜け隣国へと足を運んだ。
 そしてそれに関する情報を手に戻ってみればこの有様だ。
 佐助は息を吐いた。
 しゃがみこみ死体の一つを確認する。
 既に血が乾いていることから推測するに数時間は経過しているだろう。
 今日は先日行われた試合の打ち上げをするのだと言っていた。
 集まっていたばかりに死体が増えたのか。
 割れた皿やへし折られた皿受けの台が無数に散らばっている様子から祝宴の準備中に襲われたのだろうと判断する。
 あと数時間、自分が早くここを訪れていればと悔やまれる。
 そう、あんな所で足止めを食らわなければ……。

「げえっ」

 刹那、背後から上がった声に佐助は身構えた。
「なっ」
 しかし、予想とは違う人物の姿に思わず声を漏らす。
「て、てめえ!何でこんなところに!」
 月の光を浴びてキラキラと光る金の髪。
 この国では珍しい青い瞳が大きく見開かれ道場を凝視している。
 会ったのは二回。
 名前だけは知っている。
 お尋ね者の触書に載っていたからだ。
 しかしその罪状は知らない。
 その男は「へへへ」とこの場にそぐわない笑みを浮かべると照れたように頭をポリポリと掻いた。


 最初の出会いは峠の道の途中だった。
 顔に何となく見覚えがあることから相手が自分と同じお尋ね者であると推測する。
 すれ違い様、互いに只ならぬ気配を感じとり自分の得物を握り締めた。
 表情には出さなかったが、相手がそれなりの手練であることは分かる。
 お互いに背を向けた格好で、立ち止まり相手の動向を探り合う。
 しかし、その張詰めた空気は岩の上に現れた一匹の蛙に由って遮られた。
 一瞬で気持ちが萎え、互いに武器を収める。
 奴との出会いはそれで終わりだった。
 互いに別な道を行き、恐らくもう会うことはないだろうと佐助は思っていた。
 いや、会う可能性はある。
 自分は再びこの峠を今度は逆に行き、奴が向かったであろう町に戻るのだから。
 しかし、こうもあっさり再会してしまうとは思わなかった。
 食事を取ろうと立ち寄った蕎麦屋で、まさか相席になろうとは……。
 奴は驚いた顔をしたが、峠で会った時のような張詰めた感はなく、砕けた感じ……というよりはむしろ馴れ馴れしく話し掛けてきた。
「えへへ。また会えるって思ってたってばよ」
 そう言って奴は笑った。
「俺、鳴門。よろしくだってばよ」
 そう言って手を差し伸べてくる鳴門に佐助は蕎麦を啜りながら鋭い視線を向けた。
「馴れ合うつもりはねえ」
「えー、つれないこと言うなよ。こうして会ったのも何かの縁だろ」
「偶然だ。縁なんてない」
 ブウッと頬を膨らます鳴門から視線を逸らし、サスケはひたすら食事することに専念する。だが、その間も鳴門は懲りずに話し掛けてきた。
 蕎麦よりうどんの方が好きだとか、黒の着物は暑くないか?とか本当にくだらない話ばかりでうんざりする。
 これはさっさと食ってさっさと出るべきだと思い残りの蕎麦を掻っ込んだ瞬間、
「なあなあ、お前も摂津に行くのか?」
 不意に言われた一言に佐助は気管に蕎麦を吸い込んでしまい思いっきり噎せる。
 摂津は佐助が追い求めている『暁』の本拠地のある場所だ。
 佐助の目的地でもある。
「お、おい。大丈夫か?」
 思いっきり噎せた佐助の背中を鳴門は慌てた様子で摩る。
 そんな鳴門を佐助は潤んだ瞳で睨み付けた。
 グッと胸倉を掴む。
「て、てめえ。一体…」
 どうして自分が摂津に行くと思ったのか?しかも「お前も」ということは鳴門の目的地も同じ。だとしたら考えられることは一つしかない。
「俺も暁を追ってる」
「何?」
「だからまた会えるって思ってたんだ」
 でもこんなに早くとはな〜と鳴門は能天気にそう言って笑った。
「お前…」
 『暁』の存在はまだ一般的に誰もが知っているという状態ではない。その凶悪性から知る人ぞ知るといった感じだ。
 目の前の男は自分と同じお尋ね者だが一見そうは見えない。
(こいつ…)
 佐助は鳴門の胸倉を掴みながら唇を噛み締めた。
(何を知っている)
 それは自分にとって全く無駄な情報かもしれない。しかし有益な情報が入手できる可能性もある。
 だが、この男にそれを尋ねるのは妙に癪に障った。
 佐助は鳴門の胸から手を離すと机に小銭を置いて店を出る。
「お、おいっ」
 後ろから追いかけるような鳴門の声が聞こえたが、完全無視を決め込んだ。
 とにかくまずはあの道場主の所へ行き、アレの情報を聞きださなければ。
 その為にわざわざ一度引き返してこの巻物を貰ってきたのだから。
「ちょっと、待てってば」
 しつこく追ってきた鳴門に肩を掴まれ佐助は眉間に皴を寄せた。
「何だ」
「何だって…お前…」
 と、その時―――――――――。

「火事だ!」
 大きな声が上がる。
 声のした方角に視線を向けると煙がモクモクと晴れ渡った空を黒く染めて始めている。
「おい、行くってばよ」
 そう言うなり鳴門は佐助の襟首を掴んで走り出した。
「お、おい!」
 何故、自分が通りすがりの火事に向かわなければならないのか?
 どうして引き摺られているのか?
 だが佐助は突然の事に対処できないまま、鳴門に襟首を掴まれ引き摺られるまま火事の現場に向かっていた。



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