◆第二話 〜見えざる人形〜



 昨日の夕刻から、副長改め艦長たる角松の右肩に乗る、
 奇妙な物体の噂で艦内は騒然としていた。

 一部で妖怪だの水子だのと言うおどろおどろしい説もあれば、
 また別の所で天使やら妖精やらという対極の説も、
 同じように飛び交っている。

 朝から緊張の面持ちを湛えながら海軍の軍服に身を包んだ菊池は、
 ざらざらとした気持ちが更にささくれ立つ思いでその噂を聞いていた。

 確かに昨夜、菊池と尾栗を自室に呼んだ角松は、
 既に右肩に奇怪な物体を貼り付けていた。

 気味の悪い笑みを浮かべる人形を担いだまま、
 角松は見知らぬ箱を開けたら取り憑かれた等と適当なことを言って、
 ま、そーゆーわけだからよろしく頼むと締めくくって、
 深刻さを欠片も感じさせない説明を終えた。

 その後、尾栗に止めに入られるまで、
 詰問と説教を繰り返してやったが、腹の立つことに角松は八割がたを、
 俺にも解らん、と阿呆の一つ覚えのように唱えるばかりで、
 話にならない。

 菊池はもしも自分が同じ状況に置かれたとしても、自分なら決して、
 角松のように無防備に一人で箱を開けることもなければ、
 出て来た妖しの存在をアッサリ受け入れることもなかっただろうと、
 歯噛みするが、今となっては全てが後の祭りだった。

 「こんな状態の洋介を残して、海軍の懐に赴くのは甚だ不本意だ。」

 「そんなこと言ったって仕方がないだろう、雅行。」

 「そうだぜ、雅行。もともとお前が行くと決まってたことだしよ。
  むしろ洋介がこんな状態だってのを、
  あちらさんに感付かれるほうが怖えーじゃねぇか。」

 「そんなことは解っている。そうではなくて、
  俺は生理的に受け付けないんだ。」

 「タイムスリップが有りなら、こんなオカルト現象くらい、
  どうということはないと思うが…。」

 「違うだろ、洋介。
  雅行はその人形のツラが気に入らねぇって言ってんだよ。」

 菊池の心情を欠片も理解していない角松に対して、
 尾栗のナイスフォローが入ったところで、
 今まで事の仔細を黙って見守っていた人形がおもむろに口を開く。

 『私の顔が気に入らないとは…?』

 「俺には何も聞こえん!!」

 神経の細やかな親友の放つ怒号に苦笑しながら、
 尾栗は角松の顔の横でいささか不機嫌そうな表情を浮かべた人形の、
 透き通る薄茶色の瞳に視線を合わせて語りだした。

 「あ〜、人形さんよ、俺が通訳するから、
  雅行に直接話しかけるのは遠慮してくんねーかな?」

 『面倒なことを…まあ、いい。
  それと今後は私の事を、たっくんと呼ぶように。』

 「オーケー! で、雅行がお前さん…じゃねぇ、
  たっくんの顔が気に入らねぇのは、
  草加という男に似ているからなんだ。」

 『ほほう、だとしたら大層狭量なことだ。』

 「うるさい、黙れ!!」

 「雅行も聞こえないなら聞こえないで、
  最後までそれで通してくんねーかなぁ。」

 「…今のは、ちょっと空耳が聞こえただけだ。」

 『それは角松さんの言っていた、
  私とよく似た男という人物と同じなのか?』

 「だろうな、他に居ねーし。」

 『その眼鏡の御仁は、その草加なる者を嫌っているということか?』

 「うん、かなり。」

 『貴官はいかがか?』

 「俺も…まあ、今は好きじゃねぇな。」

 『そうか。しかし、私の主たる角松氏がその男を語った時は、
  とても嫌っているようには見えなかったが。』

 途端に、眼鏡の奥からギラリと光る怨念の篭った視線が、
 角松へと向けられる。

 同時に角松はあさっての方向を向いて、視線を泳がせた。

 みるみる部屋の温度が下がって行ったが、
 取り返しのつかない最悪な言い訳をかますよりは、
 まだましな方法と言えた。

 「とにかく。」

 尾栗は逸れ切ってしまった話を元に戻そうと、
 不毛な会話を終わらせるべく転換の口火を切る。

 「どうやら、たっくんは草加とは関係のない人形のようだから、
  雅行、お前も心配せずに下艦しろよ。」

 「しかし、康平、それでは何の解決にもなってないじゃないか。」

 「そう?」

 「草加がどうとかいう問題ではなく、
  洋介に取り憑いているこの人形をどうにかしなくては、
  解決したと言えん。」

 「でも、当の洋介が平気そうなんだから、いいんじゃねぇの?」

 「だが、あの人形は洋介の生体エネルギーを食らって、
  稼動していると言うじゃないか!」

 「でも、当の洋介が元気そうなんだから、いいんじゃねぇの?」

 「康平!!」

 「怒るなよ、俺は真面目に答えてるぜ?」

 尾栗相手にあくまで食い下がる様子を見せる菊池へ、
 角松は内心溜息をつきつつも、
 ことさら宥めるような口調で声を掛ける。

 「雅行、心配してくれる気持ちは俺としても有難いんだが、
  俺個人のことと今後の艦の命運…どちらが重いかは、
  聡明なお前なら解っていると思う。」

 「洋介…。」

 「ここは抑えて、やはりお前が交渉に行ってくれないか?」

 「しかし…。」

 「お前にしか頼めん。」

 「………解った。」

 「すまん。」

 視線を外し唇を尖らせるようにして返事をする菊池に、
 頭を下げながら、角松は斜め向かいに座る尾栗に視線を合わせ、
 二人して菊池に気付かれないように頷き合う。
 角松の右肩に乗るたっくんは、主人の意を汲み取って、
 大人しく黙っていたが、
 その瞳には少しばかり不満げな色が浮かんでいた。

 こうして菊池は予定通り下艦し、滝との交渉に向ったのだった



end.       


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