第三話 角松家の真実


如月克己が角松家にやって来たのは、三年前のことだ。

頭の弱いサラリーマンから、有り金を搾り取ってやろうと、
高校生でもないのに制服に身をやつして、偶然通りかかった、
そこそこ金回りも良さそうだが、やたらと図体のデカイ男に近付き、
春をひさぐような誘いを持ち掛けたのが、そもそものきっかけだった。

図体のデカイ男・角松洋介は、克己の口にする言葉に蒼ざめ、
ガシリと腕を掴んだかと思うと、浴びせられる罵声を無視して、
そのままずるずると引き摺って行き、とうとう自宅に連れ込んだ。

そして、玄関のドアを開けるや否や、

「康平! コイツに何か食わせてやってくれ!」

…と叫んだのだ。



「あん時は、さすがに俺も驚いたぜ」

「そりゃ、そうでしょう。いくら尾栗さんでも、
 夫が援交の相手を、自宅にお持ち帰りしたんじゃあ…」

「いや、拒食症のガキが餓死寸前で大変だぁ!と思って…」

「……………」

ある意味、似た者夫婦な二人を、克己は白い目で見詰めた。

「そんな顔すんな、如月」

「そうだぜ。洋介はこれでも、人選は悪くないほうなんだ」

康平の言に、それももっともだと克己は妙に納得する。

何故なら洋介は、美人だが癇癪持ちで金の掛かる雅行や、
魅力的だが何事も一筋縄では行かない拓海を蹴って、
この人好きする笑顔が愛らしい、包容力のある康平を選んだのだ。

それは何よりも正しい選択だと言えた。





今から三年前の結婚記念日…それは、二人にとって、
最初の結婚記念日でもあったが、その日、康平は洋介に言った。

「洋介、離婚しよう」

洋介は絶句したが、たまたまそこに居合わせた克己もまた絶句した。

克己にプレゼント選びを付き合わせて街を歩き回り、ようやく買った、
康平気に入りのシューズを取り落として、洋介は固まっている。

「お…俺のせいですか?」

克己が搾り出すようにして問うと、康平は首を振った。

「んにゃ、そうじゃなくて、如月も俺達の家族にしたいのよ、俺は」

「ちょ…ちょっと待て、康平。それじゃ意味が解らない。
 頼むからキチンと説明してくれ」

どうにか復活したらしい洋介が、テーブルに身を預けながら言うと、
康平はエプロンのポケットから、紙を二枚と印鑑を取り出した。

「ここに、離婚届と婚姻届がある」

「康平〜〜〜!!」

思わず情けない声を出す洋介に、康平は肝の据わった声で言う。

「まあ、聞けよ。経緯はどうであれ、俺は如月が気に入ったワケよ。
 でもさ、如月の家庭の事情からすると、このまま返したくないの。
 返したって、また新宿辺りで援交とかおっぱじめんのかと思うと、
 俺としても心配で、気が気じゃないわけ」

「だからって、いったい…」

「最初は、俺らと養子縁組でもしようかとも思ったんだけど、
 それだといずれ嫁に出さなきゃいけなくなる。それは嫌だ」

「嫌だって、お前…」

「だから、俺は考えた。なあ、如月。俺と賭けをしよう。
 俺は今日から一年間、洋介と離婚する。
 その一年の間に、如月、お前が洋介と結婚するんだ。」

そう語る康平の真剣な眼差しを一身に受け止め、
克己は身を固くしつつ、小さく呟く。

「…何の意味があるんですか、それ」

「今日から一年の間に、お前は洋介と子供を作れ。
 そしたら、子供は角松家の血を引くから、ここに住むのが当然だ。
 母親のお前も必然的に一緒に住むことになる。
 しかもその後、籍を抜いたって角松姓を名乗れるから、
 書類上にも何の問題もなくなる。」

「…ちょっと、尾栗さんっ!」

「勿論、俺は別に一年と区切らなくたっていいんだけど、
 そういう後味の悪い状態じゃ、お前がいたたまれないだろ?
 だから、一年後、俺はお前から洋介を返して貰う。」

「でも…」

「一年と区切ったのは、俺の覚悟だ。
 一年の間に、お前に洋介の子供が出来なかったら、
 俺も縁が無かったんだとスッパリ諦める。どうだ?」

「康平、お前さ、他人の俺達に、
 如月の人生を左右する権利があると思ってんのか?」

今まで黙って二人のやり取りを見ていた洋介が、
克己が答えるより先に、堪らず割って入った。

しかし、康平のほうも必死だった。

「俺は、この家にこそ、
 如月の幸せがあると確信してるから言ってんの!」

「だいたい、俺達には洋平と言う子供が出来たばかりなんだぞ!?」

「誰も、俺が出て行くなんて言ってねーじゃねぇか!
 俺と洋平もここで一緒に暮らすんだから、別にいいだろ!」

夫婦喧嘩に発展した言い合いに、今度は克己が割って入る。

「待って下さい、尾栗さん!」

「おう」

話にならない洋介を、敢えて無視するかのように、
康平は体ごと克己のほうへ向き直った。

「やっぱり、俺、そんな話には乗れません」

「でも、如月は洋介のこと好きじゃねぇか!」

「……っ!」

責めるように発された康平の言葉に、克己は身を震わせる。

「俺はもう嫌なんだよ! もう真っ平なんだよ!
 俺の大事な人間が、好きな奴のことずっと思い続けながら、
 別の男と一緒になるところなんか、二度と見たくねぇんだよ!」

康平の脳裏に浮かぶ人物が誰かと言うことを、
訝しげに眉を寄せる洋介とは対照的に、克己は痛い程よく判っていた。

康平の申し出を、もしこのまま克己が突っぱねたら、
それは、康平の心の傷を二倍に拡げるということに他ならない。

何より、康平の言っていることは総て真実だった。

確かに如月は、いつの間にか、
自分をこの家へ連れて来た男に心惹かれていた。

そして、彼の妻のことも大好きになっていたのだ。

如月は肚を決めた。

テーブルの上に拡げられた婚姻届を、乱暴に引き寄せると、
次々に必要事項を埋め、素早くサインし、克己は、
目を見開いたまま自分を凝視している洋介に、それを突き付ける。

「頼む、角松。アンタも書いてくれ」

洋介は康平と克己を交互に見詰める。

「それでいいのか? …本当に、お前らそれでいいのか?」

「尾栗さんの言う通り、実の親以上に俺のことを考えてくれる、
 アンタ達と一緒にいることが、俺の幸せなんだと思う」

「難しく考えんな、洋介。三人で一緒に暮らすためだ」

洋介は苦痛を思わせる表情で、しばらく逡巡していたが、
やがて黙って俯き、拳を握り締めると、
二枚の書類を自分の前に引き寄せて、空欄を埋めて行った。

その間、三人は一言も言葉を発しなかった。



「それにしても、びっくりするほど早く出来たよなぁ、洋己」

「出来たとか言うな。授かったと言え」

「今から目に浮かぶぜ…洋己ちゃんが嫁に行く時の洋介の顔!」

けけけと嗤って、片眉を上げた康平は、無遠慮に洋介の顔を覗き込む。

「よっ…嫁になんか出すかぁ!!」

「馬鹿を言うな、洋己を行けず後家の憂き目に遭わせる気か」

「如月似の美人さんなのに、周りの男が放っておくワケねーじゃん」

まだ二歳の娘の、いずれ迎えるであろう、
父親にとって最も辛い現実を突き付けられた洋介は、
みっともなく取り乱して泣いた。

心優しい息子と娘に、とーたんよしよしと片言の慰めを受けながら、
洋介は二人の子供をぎゅうと抱き締める。

そんな微笑ましい光景を目にしながら、康平は呟く。

「俺も次は女の子がいいなぁ」

「別に次じゃなくても、女の子産まれるまで、
 産み続けたらいいじゃないですか」

「海亀の産卵みたいに、ぽこぽこ産まれたら楽でいいのによ」

「そんなにいっぺんに産まれたら、育てるのが大変ですよ」

「大丈夫だよ〜ん。我が家には如月がいるもんね」

…やっぱりアンタら似た者夫婦だ、
という言葉を飲み込んで、克己は溜息をついた。

三人しか知らない角松家の真実は、それはもう、
溜息が出るほど幸せなものだった。


第三話 end.

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